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世間学会に再入会させていただきました長谷川と申します。
昨年(2019年)11月の世間学会、ならびに懇親会ではとても興味深いお話をお聞きする事ができ、また、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。
かなり前(第23回)に世間学会で発表させていただいた時以来、「世間」について強い興味を持ち、自分の考えを徒然なるままにブログに書き留めておりました。
ご参考までに、その記事の一つをご紹介させていただきます。
https://ameblo.jp/michitenji/entry-12536720736.html
次回以降の世間学会の機会に、またいろいろお話させてください。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
伊藤さまのご寄稿、拝読しました。
貴重なご意見と存じます。この会の活性化のためにもとても有難く存じます。
しばらくHPを見ていなかったので遅くなりましたが謹んで返信させていただきます。
小生なりに伊藤さまのご主張を理解したとさせていただいたうえでふたつほど。なお、伊藤さまご自身のことについてお書きしたものではけしてありません。ご承知おきくださいますように。
もちろん、集団、コミュニティ、村落を「社会」という記号や概念で論ずることに何の不具合もないことは当然ですし、その通りと思います。
まことに僭越ながら大学では哲学科 現代社会学を専攻しておりました。はるか昔のことではございますが……。
さてひとつめですが、わたしは「近代社会」でなく「西欧社会」ないし、「西欧近代社会」と申し上げました。日本人が「社会」という言葉を使うとき、ほとんど「西欧の社会」を前提にしているからです。そしてそのことを意識していないために、日本人の多くが「世間」と西欧「社会」について考えるときグタグタになってしまうのだと考えます。
これは学者も政治家も官僚も含めて、ですし、西欧の学問の研鑽を積んだエリートほど、この陥穽に陥る傾向にあります。お勉強の出来る真面目な生徒ほど、学校で習った、つまり実学でない机上の論議を、学生時代はまぁいいとして、「社会」人になってもそれがあたかも世間に存在するかのように、フツー人の会話で成り立つかのように錯覚して生きています。
「あの子、ティーチャーズペットタイプだったね」と陰で言われるあの人たちですね。
生徒会での「自由」や「平等」という、これまた西欧生まれの概念を、それと同じものがこの日本にもないといけない。と無邪気に思っているかのようなのです。いえ日本の世間にも成り立つはずだと信じています。西欧の歴史の中から生まれた「西欧的自由」を理解したうえで、「日本的自由」を論議するまでに至らないことが多いのです。
ですから「ひんしゅくを買ったのでは…」というあの言葉はじつは、いわば皮肉の表現なのですね。「あんたたちはまつたく解っちゃいないね……」という。
そして、多勢に無勢という世間のなかでは、独り「世間」レジスタンスはじつに大変な覚悟のいるものだ、ということを、阿部先生のこうした体験からしみじみ学ぶわけでありますね。
例を挙げます。
つい先日、安倍首相がホワイトハウスで、トランプ大統領と会見をしました。その映像は世界中に発信されましたし、皆さんもご覧になったと思います。
あの安倍首相が「共にゆたかな国際社会を…」というとき、「日本社会のよりよい発展を…」というときの「社会」は、「西欧型社会」のことを指しています。「豊かで、よりよい発展」の先輩は西欧社会であり、インドやアフガニスタンやスイスではけしてありません。この場合「貧困や戦闘地域や傭兵国家なのだから当たり前だろう」は正解ではない。
悲惨な状況にある国々の「社会」に生きる人々が、じつはわたしたち日本人より幸福感をもって生活していることがあるからです。現実に。
安倍さんには無理でしょうが、たとえばですが、未来社会のモデルを多角的に巨視的に論ずるならば、デリーもカブールも、ジュネーヴも言の葉に挙げるべきではありませんか。
アメリカやEUと手を携えてうまいことやっていこう、が国民合意の国家戦略なら仕方ないのですが……まぁ「アメリカのポチだから」というきわめて「日本の世間」的な、的を得た表現をもってくると話はここでおしまいなのですが(笑)……。
しかしながらさまざまな「社会」があるなかで、歴史・形態は違ってもそこに住むフツーの人々が、経済的には「西欧社会」に劣っていても幸福感をもって暮らせるのなら、それはひとつの「豊かな社会」として研究に値するはずです。アフガニスタンに二千ヵ所もの井戸を掘り続け、診療所を作り続ける中村 哲医師に伺ったことがあるのですが、けしてアフガニスタンのフツー人たちは自分たちを不幸だと思っていない、と。日本でいえば戦国時代のようなもので、戦国時代の日本人が、現代人からみて不幸だと思ってもけして本人たちはそんなことは考えないのと同じです、と。
話が逸れました、結論。
「社会」というとき、日本の首相は「西欧型社会」を前提に、基本に、手本に、することしか考えない。経済的にいまだに充分世界の上位を占めていても、「日本社会の独り立ち」、あるいは「別の道」を斟酌するそぶりもないですね。
日本人は「社会」といえば、千年前には北ヨーロッパの片隅でちいさな点でしかなかったことは頭に浮かばず、良き西洋として思い描くことが多い。そう刷り込まれている。こういう意味で、日本人は「西欧の歴史から生まれた社会」を「社会」という言葉の前提にしているので、すなわち “日本には「西欧的社会」は育っていません、まだありません”、と発言している次第です。
ちなみに、トランプ大統領との会見では、座っての対談中、画面右のトランプ氏は背広のボタンを外し、左の安倍氏はボタンをかけたままだったのをご記憶ですか。どちらが正しいと思われますか。はい、トランプさんが正しい。
ロンドンのシティを歩いてみてください。歩くときは背広のボタンはかける、座るときは外す、これ紳士道なり。近頃大人気のアメリカTVドラマ、その名も「スーツ」。似たシーンが山ほど出てきます。世界中がカジュアル化されたいまでも、だめなものはダメなのです。
スーツは150年ほど前に、文明開化とともに日本に入ってきたわけですが、いまだに日本では首相すら、背広の着こなしひとつ知らず、出来ないでいるのですね。なにが「豊かな国際社会を…」ですかね。
テレビの中のキャスターやタレントが座っていてボタンを締めているのは、Vゾーンをきれいにつくる為だったりもしますが、たいていは知らないだけでしょう。同じく150年前に入ってきた「市民」、「「都市」、「哲学」、「公園」そして「社会」という言葉も、日本人は、まだまだこの「背広のボタン」レベルなんだな。そう思うほうが自然ではないでしょうか。
長くなりましたので端折りますが、ふたつめ。
では日本人は「西欧的社会」のなにが分かっていないのか。おそらくは、キリスト教のことですね。西欧の歴史のなかではキリスト教と、個人の目覚めと資本主義の誕生と教会の世俗化、そして、「世間」の解体から「社会」への移行も含めすべてが、直結しています。つまり西欧社会を理解するには、キリスト教の歴史を知らないといけないし、西欧のフツー人との関係を理解することができないというわけです。日本の「世間」を知るためにも、です。
かの内村鑑三をして挫折させた遠大なお題ではありますが、ここを掘らないと「西欧社会」と「日本的世間」のセッションには至らないというのが、わたしの見立てです。この意味においても、日本にはまだ「社会」はない。少なくとも論議を深めるための共通理解としての
「社会」は。
フランス中世史家で「ヨーロッパに家は存在しない」と喝破した木村尚三郎が、1968年に処女作「歴史の発見」を出版した。たちまち重版を重ねた名著であるが、当時の学会には無視された。先の阿部先生のように「ひんしゅくを買った」のかも知れない。
画期的な論文が学会では受け入れられない……なんという「日本的世間」だろうと思います。
西欧的社会を無自覚に「社会」と考える諸君、これは「社会」とはいわないのではないか。
日本の世間のマイナス面、陰湿なところであるが、しかしだからといってヨーロッパの学会ではこんなことはない、ともいえない。相田みつを「人間だもの」である。しかしおそらくは。集団でだんまりを決め込む、というあからさまなことは少ないのではないか、と期待も込めて思うのだが。
また横道にいきそうなのでこれでおしまいとさせていただきますが、キリスト教と西欧社会の関係を論じないと「社会」への理解が進まない。すなわち、キリスト教をふまえたうえで西欧社会の歴史を理解し、共通認識としなくてはやはり「社会」はやってこないのではないだろうか。
これにて返信とさせていただきます。
平成30年9月30日
高橋靖典 拝
※キリスト教との関係について発言の機会があればお話しさせていただきたいと思っています。キリスト教が資本主義の精神を生んだとする、かのマックス・ヴェーバーが、西洋近代は、脱呪術化の過程である、と指摘しています。この言葉を基に、西欧の世間観がいかにして社会化していったのか、拙稿を少しずつですが認めています。この日本世間学会では、これまでたとえば、概念としての「世間と社会」論議、と実生活での知恵や人生訓つまり「世間通」談義とは区別しないといけない、など世間学のための貴重な共通認識を得られました。感謝申し上げる次第です。
7月7日(土)の学会の第2部「フリ―ディスカッション」のコーナーで「社会とは何か」が議論になったと思います。時間もなかったので、あまり議論はかみ合わなかったと思いますが、私なりに少し整理したいと思います。
帰宅後早速、複数の事典で「社会」の定義を調べました。どの事典でも「社会」は多義的で、様々な使われ方をしているとしています。特に専門書である社会学辞典や社会科学辞典ではそうです。しかし、私が最も言いたかったことは意外にも(?)国語辞典である『広辞苑』に簡潔にまとめられていましたので、その定義を以下にご紹介します。
人間が集まって共同生活を営む、その集団。諸集団の総和から成る包括的複合体をもいう。自然的に発生したものと、利害・目的などに基づいて人為的に作られたものとがある。家族・村落・ギルド・教会・会社・政党・階級・国家などが主要な形態。
この定義にあるように、家族や農村社会は「社会」です。江戸時代のムラも明らかに「社会」です。ただ、私に反論された日本文芸家協会の高橋さん(お名前が間違っていたらすみません)のおっしゃったことの趣旨は(もしかしたら、これがこの学会の代表的認識なのかもしれませんが)、「それはともかく、この学会では、社会とは近代市民社会のことを意味している」ということなのでしょうか。社会を近代市民社会のことであると定義するなら、明治以前の日本には「社会はなかった」と言っても間違いではありません。しかし、家族や農村社会も社会の定義に含めるのだとすれば、明治以前の日本に社会がなかったとは言えないと思います。
私の理解では、「社会」というのは「群衆」や「群れ」と対を成している概念で、構成要員の間に役割、地位、恒常的相互作用があるものが「社会」、それがない「人や動物の単なる偶然的、一時的集まり」が「群衆」や「群れ」なのだと思います。「社会の構成要員」は人間だけではなく、動物でもあり得るのであって、「猿の社会」、「狼の社会」、「蜂の社会」、「蟻の社会」といった表現は単なる比喩ではなく社会という用語の正しい使い方だと思います。(今では笑い話ですが、戦前、社会主義への弾圧が厳しかった頃、『昆虫の社会』という学術書が図書館から撤去されたということを聞いたことがあります)。羊、猫、熊等の集まりは「社会」の要件をほとんど満たしていないので、基本的には「群れ」なのです。
以上から明らかなように、日本の伝統的なイエ、ムラは(『広辞苑』にあるような)「広義の社会」に含まれるのです。ですから、明治時代にSocietyに対応する日本語がなかったからといって、明治以前の日本に実体としての社会がなかったことにはなりません。イエやムラがちゃんとあったではないかということになります。私への反論者(高橋さん?)が仰っていたように、この学会では「社会」と言えば、「近代市民社会」のことなのだというのであれば、明治以前の日本には(社会一般ではなく)「市民社会はなかった」と言えばいいのではないでしょうか。それならわかります。
最後に、私が言及した論文は以下の通りです。
左古輝人 「近世英国におけるSocietyの形成」『社会学評論』68:3, 2017。この論文には次のように書かれています。
16世紀前半の英国にとりsocietyは大陸ルネサンスに特有の新奇な語彙だった。当時の字引が物語るように、societyの受容は、すでに土着化していたcompany、およびさらに古いfellowshipとの同定から始まった。(370頁)
7日のセッションでも言いましたように、この問題はこの学会の主流である(?)阿部/佐藤両教授の議論に対する疑問にも通じます。たとえば、佐藤教授は次のように書かれています。
阿部さんの「世間」論が衝撃的だったのは、日本には「世間」はあるが、社会など存在しないと主張したことである。これは、一般に強い衝撃を与えたが、とくに日本のほとんどの人文・社会科学に関わる学者の顰蹙を買うことになった。(佐藤直樹 『暴走する「世間」』2008年 バジリコ 15頁)
もし、本当に日本の学者たちの「顰蹙を買った」とするならば、その一因は「社会」という用語の使い方がおかしいと思われたためなのではないでしょうか。
昨年の暮れ、富士ゼロックス社が出しているオンライン・ジャーナルからインタヴューの申し込みを受け、「<空気>と<世間>」という記事になっていますので、ご覧いただければ幸いです。まず次のURLにアクセスしてください。
http://www.fujixerox.co.jp/company/public/graphication/current_number.html
すると「最新号の詳細 : 企業情報 : 富士ゼロックス」が出てきますがこれをクリックし、さらにパソコンで閲覧になる場合はこちらから電子版 14号(2018年2月)をクリックすると雑誌の表紙が出てきます。後は左端にある左向きの矢印(<)をクリックするとページがめくれて、8枚目から私のインタヴュー記事が始まります。